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大阪地方裁判所 昭和29年(わ)1382号 判決 1958年10月21日

被告人 中島高明 外七名

主文

被告人岡本正男が外一名の者と共同して株式会社中山太陽堂工場通用門の錠前を破壊した点につき、同被告人を罰金千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

但し、同被告人に対し、本裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

被告人岡本正男のその余の点は無罪。

被告人田中満男に対し、北原哲郎、前山松二、畠中謙輔に対する各暴行罪の刑を免除する。

被告人中島高明、同山村正雄、同辺保義家、同西岡恒夫、同宮武康之、同久保田東作は、いずれも無罪。

理由

一、本件公訴事実中、被告人岡本正男に対する傷害の点は、「被告人は昭和二九年三月二三日午前七時二〇分頃大阪市浪速区水崎町四〇番地株式会社中山太陽堂薬粧品部工場通用門前路上において同工場保安係花谷信一(当時五四歳)の胸倉を掴んで押倒す等の暴行を加え、よつて同人の腰部等に治療約二週間を要する打撲傷等を負わせた」というのである。

当裁判所は審理の結果、のちに示すように被告人岡本について右の公訴事実の通りの事実を認めたのであるが、結局被告人の右所為は刑法第三六条の正当防衛に当るものと判定した。以下その理由を示すが、そのためには被告人岡本並に辺保義家が中山太陽堂を解雇されるにいたつた事情を説明し、ついで右両名の解雇の効力を検討しなければならない。

(被告人岡本、同辺保の解雇とそれにいたるまでの事情)

株式会社中山太陽堂(以下「太陽堂」または「会社」と称する)は、大阪市浪速区水崎町四〇番地に所在し、薬化粧品等の製造販売を営む会社である。被告人岡本は昭和二五年九月上旬太陽堂に電気工として入社し、薬粧品部営繕課に属して薬粧品部工場の電気設備等の補修に従事してきたが、太陽堂薬粧品部従業員をもつて組織する中山太陽堂クラブ化粧品労働組合(以下「組合」と称する)の書記長であつた昭和二九年二月一六日に経歴詐称を理由に解雇せられた。被告人辺保義家は昭和二六年一一月中旬同じく太陽堂に汽缶助手として入社し、薬粧品部営繕課に所属していたが、前示組合の組合長であつた昭和二九年三月二二日に経歴詐称等を理由に解雇せられた。右両名の解雇されるにいたるまでの事情は次の通りである。

被告人岡本は入社後昭和二五年一一月に組合に加入し、昭和二七年に組合執行委員に就任して文化部を担当した。同人が加入する以前の組合は、その活動としてはわずかに春秋に組合員のレクリエーシヨン等を行う程度であつて、また例えば年末手当等の要求についてもこれを「要求」という形式にするか「お願い」という形式にするかが対会社との関係において論議せられるような状態であり、組合は労使対等の立場において労働者の地位の向上をはかろうとする組合ではなく、近代的労働関係からはいわばなきにひとしい存在であつた。一方、会社側は、就業規則を労働者に周知させる措置すらとらず、組合員はもとより会社庶務係においても就業規則の存在自体があいまいな状態であつた。そこで岡本が執行委員に就任して以来、まず組合側の手で就業規則の存在を確認し、さらにこれを印刷して組合員に配布するなど、本来使用者たる会社が行うべき義務を有する就業規則の周知を組合側において代つてこれを行う一方、組合の民主化を図るとともにその基礎を固め、組合活動の自由を確保するため掲示板、集会場、組合事務所等の提供を会社側に要求するにいたつた。しかし、会社側は事務所、集会場を貸与せず、ために組合は会社外に事務所をもつことを余儀なくされたのみならず、会社は休憩時間中における組合の集会も内容によつて制限し、会社に不利益なものであればこれを禁止し、組合員に配布するビラの内容についても一々干渉しさらに休憩時間中工場内の通称花園で集会を行う場合においても守衛、部課長らが集会の周囲をとりまき、あるいは守衛が笛を吹きならし、時には集会場に割り込む等集会の妨害、組合活動に対する支配介入の状態を続けてきたのである。このような状態にあつた昭和二八年四月、被告人辺保が組合長に、被告人岡本が書記長にそれぞれ就任し、組合は二五〇〇円のベースアツプ、〇・五月分の夏期手当の支給、組合掲示板の設置、社内集会自由の承認、組合事務所の貸与等を要求して争議に入り、団体交渉を申入れたが、会社側は「要求」という形式がけしからん、団体交渉というのも穏やかでないとの理由からこれを拒否したが、地方労働委員会の勧告によつて漸く団体交渉をもつにいたつたものの、交渉の席上においても社長中山太一が一人立つて長口舌をふるつて団体交渉の実をあげしめず、あるいはまた「岡本は仕事はよくやるが考え方がよくない」、「岡本はやめてもらつた方がよい」とか発言することもあつた。しかしながら、数次にわたる団体交渉の結果、同年九月四日にいたつて交渉は妥結し(1)平均一五%の抜擢昇給、(2)昭和二八年一二月までに給与体系を検討し、収入増加をはかるため能率給の研究実施等について協定が成立し、協定書を作成した。会社側は、右争議中においても社長が業務命令を出して従業員を集め、組合を中傷することがあつたが、右争議中である昭和二八年六月には全従業員に対して履歴の再登録を命ずる措置に出た。組合は昭和二八年末に同年九月に成立した右協定書の履行実施すなわち給与体系の検討能率給の研究実施と〇・五月分の越年手当の支給等を要求したが、その頃書記長岡本が業務中に負傷して休社するにいたつたため、団体交渉ももてず、右要求はうやむやになつてしまつた。岡本は、昭和二九年一月になつて出社したが、同年二月一六日工場長福井達郎らは突如岡本を同工場ポンプ室に呼びよせ、同人に対し気の毒だが今日限り辞めてくれと解雇の意思表示をした。これに対して岡本がその理由をただしたところ、理由は経歴詐称であるというのみで具体的には何も示さず、ただおとなしく辞めてくれと云うのみであつた。組合は翌二月一七日日本橋小学校において組合大会を開き、書記長岡本の留任並に岡本の解雇を不当として地方労働委員会に提訴することを決議し、同時に会社側に対し岡本の解雇撤回を要求して団体交渉を申入れたが、会社側は岡本の入る交渉には応じられないとして申入れを拒否した。

組合長辺保義家が解雇せられたのは、昭和二九年三月二二日である。

組合は当日終業後今宮市民館において婦人部結成大会を行うことに決めており、このことはすでに二、三日前に会社側に通知してあり、会社側においてもこれを了知していた。ところが当日午後三時四〇分頃中山社長は全従業員を三階食堂に集合させ、会社の財政状態を述べたり、あるいは組合は共産党の指導によるものであるとか組合に対する中傷的演説を行い、終業時である午後四時三〇分頃に及んでもこれをやめなかつた。辺保は組合長として終業時間の数分前に「今日は婦人部大会があるからやめて頂けないか」と社長に要望し、自らは更衣のために一旦ボイラー室に戻り、再び三階食堂にひきかえした時はすでに終業時刻を経過していたが、なお中山社長は演説を続けていた。そこで辺保は午後四時四〇分頃「今日の大会には外部の人も来るし、すでに終業時間後であるからやめてもらいたい」旨再度要求したところ、中山社長は「今日はもつと続けていいのではないか」と答えてさらに演説を続けようとしたので、辺保は女子工員に対し「今日は婦人部大会だからその方に行つてくれ」と告げたところ、中山社長は突如「辺保は今日から太陽堂のものではない、辺保はくびだ」と同人に対して解雇を申しわたした。当日の婦人部大会では、辺保、岡本の解雇反対、有給生理休暇の承認、更衣室への通路の整備要求等を決議し、この要求を組合を通じて会社側に提出するとともに団体交渉を申入れたが、会社側は辺保、岡本の入る団体交渉には応じられないとしてこれを拒否した。一方、組合は辺保の解雇を不当として地労委に提訴した。

(証拠)

一、第二六回公判調書中の被告人岡本正男の供述記載

一、第三一回公判調書中の被告人辺保義家の供述記載

一、第一九回公判調書中の証人竹田保枝の供述記載

一、第二一回公判調書中の証人杉野満佐子の供述記載

一、第二五回公判調書中の証人帖佐義行の供述記載

一、押収に係る協定書、要求書(昭和三〇年裁領第五〇一号の六、七)

(解雇の法律的判断)

会社側は右両名の解雇は、被告人岡本については経歴詐称、被告人辺保については経歴詐称、不良行為、従業員としての体面汚損によるものであり、いずれも就業規則違反によるものであるとしている。なるほど両名の経歴については岡本が関西配電に勤務していたことを除外して記載した点、並に阪本電気商会に勤務した期間を実際より長く記載したこと、辺保が戦前日本港湾従業員組合常任書記であつたことおよび戦後山口農民組合書記長であつたことを記載しなかつた点については、右両名の認める通りそれぞれ経歴の詐称が認められる。しかし前示の通り、岡本は電気係工員、辺保は汽缶助手として入社したものであつて右解雇にいたるまで岡本は約三年六ヶ月、辺保は約二年五ヶ月にわたりいずれもその業務に精励し、その間同人らの技術または勤務状態については何ら非難せらるべき点がなかつたのみならず、却つて中山社長自らも同人らの仕事ぶりについてはこれを高く評価していたのである。由来、太陽堂は社長中山太一によつて独裁的に運営されてきた会社であつて、中山社長は近代的な労働関係並に労働組合に対しては全く無理解で、ために会社側の組合に対する態度は稀に見る前近代的なものであり、すでに述べたように、就業規則の周知徹底を行わないことをはじめとし、団体交渉の拒否、組合活動の自由制限、妨害並にこれに対する支配介入等およそ考えうる労働組合法、労働基準法違反の状態を継続し、労働者の団結権、団体行動権を侵害し続けてきたのである。こうした会社側の態度を反映して当初なきにひとしい存在であつた組合は、岡本並に辺保の役員就任以来漸くにして労資対等の立場に立つて労働者の地位の向上をはかる組合への第一歩をふみ出した。とはいえ、その組合活動は一般的に見ればきわめて穏健なものであり、さきに示したその具体的活動は云うまでもなく正当な組合活動であつた。しかしながら、この程度の正当な組合活動にしても近代的労働関係並に労働組合に対して何らの理解を示さず自ら労働関係法規違反を行つてこれを顧みなかつた会社にとつては、にがにがしいことであり、且つこうした組合活動の中心でありその推進的存在であつた岡本並に辺保を快からず思つたことは容易に推認できるところである。さらに、岡本の解雇の時期についてみると、昭和二十九年二月と云えば、昭和二八年九月はじめて団体交渉の結果協定書が成立した後であり、いわば組合活動が登り坂にあつた頃であり、さらに昭和二八年末の斗争が岡本の負傷休社等によつていまだその解決を見ていなかつた時期である。さらに辺保についてみると、同人に対して解雇の意思表示のなされるにいたつた経緯は、すでに示した通り、会社側の組合運営に対する支配介入に起因するものであることは明らかである。以上のように、従来会社側が組合に対してとつてきた態度、さらには組合と岡本、辺保等との関係等を綜合すると、右両名には前示のような経歴詐称があつたにしても会社側が右両名を解雇するにいたつた決定的動機は、組合を弾圧しまたはこれを弱化させようとする意図に基くものであると解しないわけにはゆかず、結局会社側の右両名に対する解雇は労働組合法第七条一号違反の不当労働行為であり、従つてその解雇は無効のものであると当裁判所は考える。

(被告人岡本の所為を正当防衛と認めた理由)

本件傷害の公訴事実は、組合長辺保が解雇せられた翌朝のできごとであつて、当裁判所は被告人岡本について次のような事実を認定した。すなわち、昭和二九年三月二三日従業員の出勤時刻である午前七時すぎ頃、ともに解雇の不当を確信する被告人岡本および辺保は相前後して太陽堂正面通用門前にいたり、それぞれ電気工または汽缶助手として就労するとともに、休憩時間中には組合員として組合活動に従事しあわせて自分たちの解雇の不当を組合員に訴えるべく、通用門を経て約一間位工場内に立入つたところ、同人らが入門するのを認めた同工場保安係守衛並に事務所からかけつけた部課長、男子職員等が一団となり実力をもつて同人らを通用門外に押し出し、直ちに通用門を閉鎖した。ところが、守衛花谷信一、同松本義一らは、同僚らとともに被告人らを門外に押し出すはずみに自らも門外に押し出されたが、花谷は右のように通用門が閉鎖されてしまつた後、なおも被告人岡本を右通用門より約一メートル半か二メートル距つた右正門中央附近まで押し来つた。岡本としてはこのようにして実力をもつて入門を阻止せられ且つ通用門を閉鎖された以上入門するすべがなく、その場は諦めて帰るつもりであつたが、右のように花谷が執拗に押し来つたため、「もう門の外やから、そうまでもせんでもよいやないか」と云うとともに、これから逃れるため花谷の胸倉をもつて横にふつたところ、同人はその場に転倒したが、その際同人は加療二週間を要する腰部臀部左膝関節部打撲症並に右腕関節部擦過傷を蒙つた。

(証拠)

一、被告人岡本正男の検察官(昭二九・五・一〇付)司法警察員(昭二九・四・二八付)に対する各供述調書

一、第三〇回公判調書中の被告人岡本正男の供述記載

一、第三一回公判調書中の被告人辺保義家の供述記載

一、花谷信一、松本義一の各証人尋問調書の記載

一、医師土井敬作成の診断書

(なお、花谷信一の右調書には右のようにして転倒した後、岡本がネクタイを掴んで上下にし頭を地面にうちつけた旨の記載があり、松本義一の調書にもこれにそう供述記載があるが、岡本の右各供述記載には花谷が転倒した後同人の身体を押えつけたが、頭を地面にうちつけてはいない旨供述されており、辺保の供述記載にも頭を地面にうちつけるのを見た記憶はない旨の記載がある。しかしいずれにしても花谷が蒙つた前示の傷害は同人が転倒した際に生じたものと見るのが相当である。)

花谷信一並に松本義一は、同人らが被告人らを門外に押し出したのは、被告人には解雇の通告をしてあるから工場に入れてはいけない旨労務係から命ぜられていたからであると供述しており、且つ松本義一は通用門を閉鎖してしまえばその任務を終るわけであるが、その後も花谷が岡本を押して行つたのは、通用門を押し出した連続として行つたものであると述べている。しかしながら、すでに判示したように被告人岡本および辺保の解雇は無効のものであつたから、同人らと会社との間には依然として雇傭関係が存続していたものと云わねばならず、従つて就労することともに組合役員としての任務を遂行するため平穏に入門しようとする被告人らを前示のように実力をもつて阻止し門外に押し出すことは、仮りに会社側部課長男子職員並に守衛らにおいて、被告人らの解雇が有効になされたものであると信じていたにせよ、なお右の会社側の所為は、岡本に対する暴行であるのみならず、被告人らの勤労の権利および労働者としての団結権に対する急迫不正の侵害であり、通用門が閉鎖された後、花谷が被告人岡本を正門中央附近まで押してきたことは右の暴行並に侵害行為の連続であると解せねばならない。而して被告人岡本が花谷をふりきるため同人の胸倉を掴んで横にふり同人をその場に転倒させた行為は、すくなくとも自己の身体の自由を防衛するため已むを得ずに行つたものであると認めるのが相当であり且つその場の状況等からみて防衛の程度を越えたものと思われないから被告人岡本は正当防衛で無罪であると判定した。

二、本件公訴事実中、被告人中島高明、同山村正雄、同辺保義家、同岡本正男、同西岡恒夫、同宮武康之、同久保田東作に対する建造物侵入の点は「被告人七名は昭和二九年四月二六日大阪市浪速区水崎町四〇番地株式会社中山太陽堂薬粧品部工場長福井達郎の看守する同工場に不法に侵入した」というものである。

当裁判所は審理の結果、当日の争議の模様並に右各被告人の行為について次のような事実を認定した。

(当日の争議の状態)

昭和二九年四月二六日、当日太陽堂では従業員の給料日であつたが、会社側は午後三時前頃になつて突如給料の遅配を掲示した。組合はこれを不満とし午後三時より時限ストに入り、会社側に給料の支払について団体交渉を申入れたが、会社側は「金がないから待つてくれ」というのみで、午後四時すぎまで押問答をくりかえしていた。午後四時すぎ頃、会社側は同工場発送課前と営業所前広場との間に設置せられていたシヤツターをおろし、非組合員を営業所内を通して帰宅させたため、女子組合員ら約一〇〇名は作業衣のまま発送課前荷物置場附近(右シヤツターのうち側)に集合したが、時限ストに入つて以来組合長辺保義家が同工場正門前に来つて柵ごしに女子組合員幹部に連絡指揮をしており、また応援団体の者も正門前に集りつつあつたので、女子組合員らは午後六時頃にいたり右シヤツターを持上げて営業所前広場に出た。会社側は女子組合員らが広場に移つた後、右シヤツターを固定し、その内側に木箱等を積み、さらに営業所横通路のシヤツターをも閉鎖するにいたつた。右のように二ヵ所のシヤツターが閉鎖せられたため工場内部に移ることもできず、一方正門並に通用門はすでに閉鎖され守衛がこれを監守している状態で、女子組合員らは作業衣のまま降り出した小雨のなかで事実上監禁状態におかれ、便所にも行けないことになつた。このようにして女子組合員は帰るに帰れず、辺保組合長は正門の柵ごしに門内の女子組合員幹部に対してこのような監禁状態を解くよう会社側に交渉するよう命じたが、会社側はこれに応じなかつた。組合員らは食事もできなかつたので辺保組合長はパンを購入して門外から配給し、通行人のうちにも組合員に同情してパン等の差入れをする者もあつた。午後七時半頃になつて漸く会社側は組合員らが便所に行くために営業所横通路のシヤツターをあけたが、通路には会社側職員が監視し、組合員らを二人一組で用便に行かせ、その者が帰来しなければ他の者を行かせないという方法をとつたため、組合員らとしては用便の機会に帰宅することもできなかつた。正門前に集つた外部応援団体や通行人らは女子組合員らのおかれている状態に同情し、組合員らを激励していたが、午後八時すぎ頃門内の女子組合員らは門外の応援団体並に通行人らと内外から正門を揺り動かして正門閂の受止金を破壊して正門をねじあけるにいたつた。

(証拠)

一、第一九回公判調書中の証人竹田保枝の供述記載

一、第二一回公判調書中の証人杉野満佐子の供述記載

一、第二二回公判調書中の証人内山弘子、同坂井春子の各供述記載

一、第二三回公判調書中の証人河村三喜三、同石本麟児の各供述記載

一、当裁判所の検証調書

一、第五回公判調書中の証人野村昇の供述記載

一、第六回公判調書中の証人道古保一、同長谷川武雄の各供述記載

一、第三一回公判調書中の被告人辺保義家の供述記載

(各被告人の行動)

(一)  被告人中島高明は大阪金属労働組合協議会常任理事であつて当日午後六時頃応援のため中山太陽堂に赴き、組合員に会うため守衛に入門を頼んだが許されず、正門前において内部の組合員を激励していたが、右のように正門がねじあけられた後そこから正門内広場に入り、組合員らから事情を聞くとともに居合わせた辺保組合長に対し早く解決して組合員が帰れるようにしたらどうかと助言していた。

(証拠)

一、第三二回公判調書中の被告人中島高明の供述記載

一、被告人中島高明の検察官並に司法巡査に対する各供述調書

一、第六回公判調書中の証人道古保一、同長谷川武雄の各供述記載

(二) 被告人山村正雄は総評大阪地方評議会書記であるが、当日午後九時頃太陽堂に赴き、守衛に対して解決のため来たことを告げたところ、守衛が通用門をあけたので通用門から正門内広場に入つた。

(証拠)

一、第三二回公判調書中被告人山村正雄の供述記載

一、被告人山村正雄の司法警察職員に対する各供述調書

第六回公判調書中証人長谷川武雄の供述には山村が塀の方から来るのを見た旨の記載があり、岡村芳松の証人尋問調書並に富樫新八郎の検察官調書にも同旨の供述記載があるが、被告人の主張は警察以来終始一貫しており、且つ被告人が太陽堂に到着した時間等を考慮にいれると、前示長谷川、岡村、富樫等の供述記載を直ちに措信することはできない。

(三) 被告人辺保義家は、当日組合が時限ストに入つて以来、太陽堂正門前において柵ごしに組合員らと連絡をとり、指揮してきたが、応援団体がつめかけてからはこれらの団体員に挨拶をするとともに、組合長として事態の解決を焦慮していたが、午後八時頃すでに何びとかによつてこわされていた正門南側煉瓦塀上の木柵を梯子代りに右塀にたてかけ、同煉瓦塀をのりこえて広場に入り、女子組合員らを激励するとともに会社側に事態解決方の交渉を申し入れたが、会社側はこれに応じなかつた。

(証拠)

一、被告人辺保義家の検察官並に司法警察員に対する各供述調書

一、第三一、三二回各公判調書中被告人辺保の各供述記載

一、第一六回公判調書中証人井手秀人の供述記載

(四) 被告人岡本正男は、同日午後四時半頃工場正門前に赴いたがもとより入門できなかつたのでその場は辺保組合長に任せ、自らは大和製鋼労働組合に応援を依頼するため大阪市西成区津守町の大和製鋼所寮に赴き午後九時前頃工場正門前に帰つたところすでに外部団体の一部の者が工場内に入つていたので、正門のねじれてあいている所から広場に入り組合員と合流した。

(証拠)

一、第三〇回公判調書中被告人岡本正男の供述記載

一、被告人岡本正男の検察官並に司法巡査(昭二九、四、二七付二通)に対する各供述調書

(五) 被告人西岡恒夫は淀川製鋼所工員であり、淀川製鋼所労働組合の組合員であるが、かねてから自己の組合で太陽堂の争議の事情や女子工員らの実情を聞きこれに同情していたところ、当日会社が代休になつたので一度太陽堂の組合に行つてみようと思い、午後二時頃太陽堂に赴き守衛に組合幹部との面会を依頼したが拒絶せられた。さらに午後四時半頃から再び工場正門附近にいたつたが、前示のような女子組合員の状態を見、門外からこれを激励していたが、午後八時頃女子組合員らを激励するため被告人辺保らにつづいて同人らと同じく正門南側の煉瓦塀をのりこえて正門内広場に入つた。

(証拠)

一、第三三回公判調書中被告人西岡恒夫の供述記載

(六) 被告人宮武康之は野村製作所の工員であり同労働組合の組合員であるが、当日同組合から太陽堂の争議応援の依頼をうけ、午後八時頃組合委員長らと三名で太陽堂に赴き、組合員らの前示の状態を見たが、正門が閉鎖せられて入門できなかつたので、被告人辺保らと同じく正門南側煉瓦塀をのりこえて正門内広場に入り、女子組合員を激励し、ともに労働歌を合唱した。

(証拠)

一、第三二回公判調書中の被告人宮武の供述記載

一、岡村芳松の検察官に対する供述調書

(七) 被告人久保田東作は紙類販売業を営むものであるが、当日午後七時頃所用の途次太陽堂正門前において、女子組合員らが小雨の降るなかで作業衣のまま正門内広場に監禁状態になつているのを見、女子組合員が給料もくれんし帰るに帰られんというのを聞いてこれに同情し、さらに食事もしていないと聞いたので自分の所持金でウドンを差入れるなどして組合員を激励していたが、午後八時頃被告人辺保らにつづいて正門南側煉瓦塀をのりこえて正門広場に入り、組合員らを激励し労働歌を合唱した。

(証拠)

一、第三二回公判調書中被告人久保田の供述記載

一、第一二回公判調書中証人福井達郎の供述記載

(各被告人の行為の法律的判断)

まず、被告人山村正雄の行為について考える。同人はさきに認定した通り、通用門守衛の許可をうけて正当に正門内広場に入つたのであるから、同人の正門内広場に立入つたことは建造物侵入罪を構成しない。

次に、被告人山村を除く他の被告人六名の行為について考える。被告人六名については正門内広場に立入つた方法、経過においてそれぞれ差異はあるが、いずれも管理者の意思に反して立入つたものであるから各被告人について建造物侵入罪の外形的事実はこれを認めざるを得ない。しかし被告人ら六名が正門内広場に立入つたについては、すでに判示した通り、あるいは太陽堂組合の組合長または書記長、あるいは応援の外部団体の組合員、あるいはまた一般通行人としていずれも女子組合員たちが前示のような状況で正門内広場に事実上監禁されているのを激励し、あるいはその事態を収拾するために、それぞれ前示のような方法で正門内広場に立入つたものである。女子組合員らが正門前広場に事実上監禁されるにいたつた経過についてはこれまた前示の通りであるが、女子組合員らが正門前広場に移つた後、二ヶ所のシヤツターを閉鎖して前示のような状況のもとで女子組合員らを広場に監禁し、事態解決のための組合側の申入を拒絶し、このような状態で数時間放置した会社側の措置は、それが法律上不法監禁罪に当らないにしても、ことに相手が女子組合員であるだけ、きわめて非人間的で甚しく妥当をかいたものといわなければならない。こうした会社側の非道な措置によつて監禁の状態にあつた女子組合員等を激励しあるいはその事態を解決するために正門内広場に立入つた各被告人らの所為は、被告人らの属性には前示のようにそれぞれ差異はあるにしても、各被告人を通じて刑法第三五条の正当な行為であると考えるので、右被告人六名の行為はいずれも罪とならないものと当裁判所は判定する。

三、本件公訴事実中、被告人中島高明、同山村正雄、同辺保義家、同岡本正男および同西岡恒夫に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点は、「被告人ら五名は昭和二十九年四月二六日同工場において外一〇数名と共同して同工場正門閂を、被告人岡本は外一名の者と共同して同工場通用門の錠前をそれぞれ破壊した」というのである。

まず被告人ら五名による正門閂の受止金の破壊について考えると、当裁判所はすでに判示した通り、正門は当日午後八時頃正門内の女子組合員と正門外にいた外部応援団体員および一般通行人らが共同して内外から揺り動かしこれをねぢあけたものと認定したのであつて、被告人ら五名についてはその犯罪の証明がないかあるいはその証明が十分でないと考える。以下各被告人について個別的に検討する。

(一)  被告人中島については、さきに当裁判所が認定した通り同人はすでに正門があけられた後に、そこから正門内広場に立入つているのであり、且つ証人長谷川武雄の第六回公判調書中の供述記載によつても門をゆさぶつていた者の中に中島がいたかどうかは判らないのであり、証人西岡恒夫の第三三回公判調書中の供述記載によつても同人は中島が閂をとろうとしたのは見ていないと云うのであるから、結局被告人中島については犯罪の証明がない。

(二)  被告人山村については同人は警察、検察庁、公判廷を通じ一貫して正門を破壊したことはないと供述しており、且つ証人長谷川武雄(第六回公判調書)同岡村芳松、同森本義治の各証人尋問調書の各供述記載を綜合しても、被告人山村が正門閂の受止金を破壊したことは認めることができず、結局被告人山村についても犯罪の証明がない。

(三)  被告人辺保については道古保一の検察官調書(刑訴法第三二一条一項二号書面)には、四、五名が辺保といつしよに正門の閂をはずそうとしていた旨の記載があるけれども、同人の第六回公判調書中の供述記載によると、同人は正門があくのは見ていないというのである。被告人辺保は警察検察庁以来、正門をおしたことはないと供述しており、証人井手秀人の第一六回公判調書中の供述記載によると同人は辺保が柵のところから入つた後のことは知らないというのであり、さらに証人西岡恒夫の第三三回公判調書中の供述記載によつても、辺保が正門閂をとろうとしたことは見ていないということになつている。以上のごとくであつて、被告人辺保については犯罪の証明が十分であるとは認め難い。

(四)  被告人岡本については、すでに建造物侵入の点について認定したように、同人は破壊された正門のさけ目より正門内広場に入つたのであつて、同人は終始正門破壊の点を否認しており且つ他にこれを認めるに足る証拠がなく、犯罪の証明がない。

(五)  被告人西岡については、道古保一の検察官調書(刑訴法第三二一条一項二号書面)によると、西岡が辺保とともに閂をはずそうとしていた旨の供述記載があるけれども、同人の第六回公判調書中の供述記載によると、同人は西岡が何をしていたかは思い出せない、正門のあくのは見ていないと述べているのである。一方被告人西岡の検察官調書並に司法警察職員に対する各供述調書には正門の閂をとるのを手伝つた旨の記載があるけれども同人は当公廷においては終始これを否定しており、捜査官憲に対する供述調書にこれを認めたように記載されているのは、夜中取調べの警察官からしつこく聞かれ、云つたら出してやると云つて何べんも聞かれるので警察官の云う通りに供述したことによるというのである。以上の次第であつて、同人の捜査官憲に対する供述調書も直ちに措信することができず、結局犯罪の証明が不十分であると云わねばならない。

右のようにして、正門閂の破壊については、被告人五名についていずれもその犯罪の証明がないかまたはその証明が不十分である。

次に、被告人岡本の通用門の錠前破壊の点について考える。第五回公判調書中の証人野村昇の供述記載、被告人岡本の検察官に対する供述調書(昭和二九、五、一〇付)および同人の第三〇回公判調書中の供述記載を綜合すると前示のようにねぢあけられた正門は、被告人岡本らが正門内広場に入つた後、守衛らの手によつて復旧せられ、再び閉鎖せられるにいたつた。正門に入つた被告人は、組合事務所に赴くため通用門にいたり、通用門を監守している守衛に対し、通用門の開扉を依頼したが、守衛はこれに応じなかつた。そこで被告人は通用門傍の水道栓の傍にあつた雑巾棒をもつて他一名の者と共同して右通用門の錠前を破壊したことが認められる。右の行為は、弁護人の主張するように正当な組合活動の範囲内に入るものとは認められず、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(数人共同器物損壊罪)、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項二号に該当するものと云わざるを得ない。また、被告人の右の行為を正当防衛とか期待可能性のない行為とも見ることはできない。よつて、被告人岡本に対し、この点について所定刑中罰金刑を選択し、換刑処分について刑法第一八条を適用し、なお情状によつて同法第二五条に則り刑の執行を猶予することにし訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書によつて被告人に負担させないことにした。

四、本件公訴事実中、被告人田中満男に対する建造物侵入、暴行の点は「被告人田中は(第一)昭和二九年四月七日株式会社中山太陽堂薬粧品部工場長福井達郎の看守する同工場に故なく侵入し、(第二)同日同工場において資材課倉庫屋根上から前記会社試験課長北原哲郎、同資材課副課長前山松二、同発送課副課長畠中謙輔および同工場能率部副部長楠田由三の各頭部を所携の組合旗でつき以て右四名にそれぞれ暴行を加えた」というのである。

当裁判所は、審理の結果昭和二九年四月七日の争議の模様並に被告人田中満男の所為についてつぎのような事実を認定した。

(昭和二九年四月七日の争議の模様)

前示のように、昭和二九年三月二二日の婦人部大会においてなされた決議にもとづき、

組合は三月二六日会社側に要求書を提出し、団体交渉を申入れたところ、会社側はこれを拒否したが、地労委の勧告により四月五日団体交渉に応ずるにいたつた。しかし会社側は右要求に対し四月一三日に文書をもつて回答し、第二回目の団体交渉は四月一五日以降にしたい旨回答した。

組合としては、会社が要求の審議に誠意を示さず問題の解決が延引されることを不満とし、早急に団体交渉の再開を要求するため四月六日の斗争委員会で翌四月七日午後〇時三五分より午後二時四五分にいたる時限ストを行うことを決定し、四月七日正午頃この旨を会社側に通告するとともに、日本労働組合総評議会大阪地方評議会を通じて傘下の外部団体にスト応援方を依頼した。こうして組合は、当日予定通り時限ストに入り組合員約一五〇名が花園に集結したが、当時会社は前示のように辺保、岡本が工場内に立入ることを禁止していたため、組合員としてはその代表が正門前に来ている同人らと閉鎖された門の柵ごしでしか連絡をとるほかなく、もとより組合幹部が戦術会議等をもつことは不可能な状態にあつた。組合より応援要請をうけた外部団体の組合員らは、同日午後一時前後から工場正門前に約二〇数名が集つた。一方、会社側は前示のように時限ストの通告をうけるや、組合が外部団体と接触することを阻止するため、昼の休憩時間中より同工場発送課前通路に木箱等を置いてその準備をしていた。

花園に集つた組合員らは労働歌を合唱していたが、正門前に応援にきている外部団体の労働者たちに挨拶をするため正門に赴くことを決め、同日午後二時頃四列縦隊を組んで右花園より同工場発送課前通路を経て正門にいたるべく行進を開始したところ、福井工場長の指示により会社側部課長並に非組合員たる男子職員ら計約三〇名位が発送課前通路にスクラムを組んで立塞りさらに梯子、すだれ等をもち出しそれらを用いて実力をもつて女子組合員の行進を阻止するとともに逆に花園側に押しかえしたため女子組合員のなかにはその場に転倒して負傷するにいたる者も出、発送課前通路は約三十分にわたつて混乱を呈するにいたつた。

(証拠)

一、福井達郎の検察官に対する供述調書

一、福井達郎の告発書

一、岡本正男の検察官に対する供述調書

一、河越幸太の検察官に対する供述調書

一、第一九回公判調書中証人竹田保枝の供述記載

一、第二一回公判調書中証人杉野満佐子の供述記載

一、第二四回公判調書中証人種谷綾子の供述記載

一、第二五回公判調書中証人山本英子の供述記載

一、第三五回公判調書中証人中山寿一、同古川彰一の各供述記載

(被告人田中満男の所為)

被告人田中は宝ミシン販売株式会社の外務員であり、同会社の従業員をもつて組織される宝ミシン労働組合の組合員である。同組合は太陽堂組合より四月七日の時限ストの応援要請をうけ、被告人田中は当日午後一時前後に同組合長ら四名とともに、時限スト応援のため太陽堂正門前に赴いた。正門前には被告人らと同じく応援要請をうけた他の外部組合員ら約一〇名位が集つていたが、正門並に通用門は閉鎖せられて内部から守衛が監視して被告人らの入門を許さず、被告人らは太陽堂組合よりの要請で応援に赴いたにも拘らず、同組合からは何の連絡もなく、もとより組合員の姿を見ることができなかつた。被告人としては、かねがね宝ミシンの外務員として何回も太陽堂を訪れたことがありその際女子工員から会社の組合に対する態度を聞知していただけに、右のように何らの連絡がないことからみて、女子組合員らが会社内に監禁でもされているのではないかと案ずるようになつたが、その場に居あわせた応援者の発議で約一〇名位の者とともに工場内の様子を見通すべく工場正門より北側に曲り同日午後二時前頃同工場北側の塀に登つた。右塀の内部にいた女子組合員らは被告人らの姿を認めて歓声をあげ、被告人らもこれに応じて組合旗をふつて女子組合員を激励していたが、そのうち組合員らが花園内において示威行進をはじめ、ついで同所より正門にいたるべく行進を開始したところ、発送課前通路で前示のようにこれを阻止する会社側男子職員と衝突するにいたつた。被告人田中は右の塀の上からこの状況を見ていたが、女子組合員らが劣勢であつて、会社側男子職員に実力をもつて行進を阻止せられ花園側に押しかえされるのを認め、さらに組合員らの悲鳴を聞くにおよび、組合員らを激励しようと決意し、その頃右塀上から前示衝突現場の真上である同工場資材課上屋に侵入し、所携の組合旗を下方にむけてふり組合員を激励した。その際被告人は会社側職員が組合員を押しかえすためさらに梯子等を持ち出すのを認め、このような混乱時に梯子等を持出せば怪我人が出るかもしれないと思い、会社側の妨害を排除するため所携の組合旗の旗竿をもつて会社側の行進阻止に参加していた同会社試験課長北原哲郎の頭部、同資材課副課長前山松二の右肩鎖骨の前、同発送課副課長畠中謙輔の後頭部を各一回突き右三名にそれぞれ暴行を加えた。

(証拠)

一、被告人の検察官および司法警察員(昭和二九、五、二八付)に対する各供述調書

一、第三二回公判調書中被告人田中の供述記載

一、北原哲郎の検察官および司法警察職員に対する各供述調書

一、第一三回公判調書中証人前山松二の供述記載

一、第一二回公判調書中証人畠中謙輔の供述記載

一、福井達郎の告発書添付の写真第四号

なお被告人田中が同工場能率部副部長楠田由三の頭部を突いたという点については、第一三回公判調書中証人楠田由三の供述記載、古川彰一の検察官に対する供述調書、第三五回公判調書中証人古川彰一の供述記載を綜合してみてもその証明は十分であるとは認めがたい。

(被告人田中の所為の法律的判断)

本件は前示の通り時限スト中のできごとである。ストライキはその当然の結果として使用者たる会社の業務の正常な運営を阻害するものであるが、組合が労組法第一条の目的を達成するためにした正当なものに対しては刑法第三五条の適用があることは、あらためて云うまでもない。会社側が組合員らの行進を実力をもつて阻止した理由については、あるいは正門内側で騒がれては会社の業務の妨げになるからとか、あるいは、発送課前通路を通すことは発送業務に妨げとなるからであると云つているけれども、仮りにそのような事態が生じたとしても、それはストライキに伴う当然の結果であると云わねばならない。組合側についてみると、会社側が正門を閉鎖して外部応援団体はもとより組合長書記長をも、入門せしめなかつたため、争議中の組合員は応援団体に挨拶するため正門に赴くべく四列縦隊で整然と行進を開始したのである。この行進に際して組合側が暴力を行使したことは全く認められないから、組合員の正門への行進は正当な組合活動であると解せられる。この行進に対して会社側が右のような理由で前示のように部課長並に非組合員たる男子職員ら計約三〇名で実力をもつて、あるいは梯子、すだれ等をもつてこれを阻止しさらに行進を押しかえした行為は憲法上保障せられた組合員の団結権および団体行動権に対する急迫不正の侵害であると云わねばならない。これに対し被告人田中がすでに判示したような経過で資材課倉庫上屋に侵入し、判示のように暴行を行つたことは、会社側による右の侵害に対し、太陽堂組合員らの団結権並に団体行動権を防衛するために行つたやむを得ない行為であると当裁判所は判定する。ただ、同被告人は太陽堂組合の組合員ではなく、単に右組合より応援要請をうけて出動した外部組合の組合員にすぎない点等よりして、被告人が右のように資材課倉庫上屋に侵入して激励した点はとにかく、北原哲郎、前山松二、畠中謙輔に暴行を加える行為は、刑法第三六条第二項にいわゆる防衛の程度を超えたものといわざるを得ない。しかしその当時の状況並に諸般の情状によつて、その刑を免除するのが相当であると考える。なお同被告人に対する建造物侵入罪と各暴行罪とは、同法第五四条第一項後段の牽連犯であつて、建造物侵入罪はもとより楠田由三に対する暴行罪も結局一罪の一部であるから特に主文において無罪の言渡しをしなかつたものである。

(裁判官 今中五逸 児島武雄 吉川寛吾)

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